- 2025-6-6
- 投資先への手紙
Hibikiの清水です。皆さまお世話になっております。本日は株主総会前の投稿ですが、私どもは今年度、2社(日本高純度化学株式会社(「JPC」)、株式会社巴コーポレーション(「巴コーポ」))に対して株主提案を行っております。特に、JPCに対しては、株主提案以上に、取締役構成や過去の業績低迷の経営責任、また、監査等委員会設置会社という、外形的にはガバナンスの改善だと受け止められやすい機関設計への移管への反対など、私どもが責任ある株主としてそれぞれの投資先にとり本質的に「今」大切だと考えていることが凝縮されています。少々(本意ではないのですが)固い文章です。当該企業の株主ではない皆さまにもお時間ございましたら、ご覧を頂きたく存じます。
日本高純度化学に対するキャンペーン実施
巴コーポレーションに対する株主提案実施
さて、今年度も過去最高の株主提案が提起されているとメディアで伝えられておりますが、それこそ株主提案を行いますと、「怖い投資家」や「嫌な投資家」という印象を持たれることは依然として少なくありません。残念ですがもう慣れております(笑)。
このような投資家の行動に対して、所謂「資本」が「土足で」家に上がってきているような感覚を、もし多少なりとも経営者がまだ持っているとしたら、それは残念ながら昭和時代の日本の独自の資本主義体制に対するノスタルジアとしか言いようがなく今すぐ払拭すべきでしょう。会社は「法的」には株主の所有物ですし、その株主が会社法上認められている権利を行使している上に、そもそも株式は公開市場で売買が可能なので、会社は本質的には株主を選ぶことが出来ず、株主から株主提案が提起されるということはその前段としてのそもそものきっかけや系譜が会社側(経営側)にあることが大半です。どうしてもそういったことに納得ができない場合は、当然ながら非公開化を企図すべきでしょう。
それを棚に上げ、取締役会として大体(ほぼ100%)株主提案に対する仰々しい反論プレスを適時開示いただきますが、正直申し上げて、ぼたんの掛け違いや、本質的な議論を避けられてしまうことも多く、困ってしまいます。そこで、提案株主として株主総会の前に代表取締役や経営陣に対して「誤解がないように真摯に提案の意義の説明を個別にさせていただきたい」と申し入れても全力で却下されてしまう(有難い申し出ですが、説明は不要です、以上!)ことも多く、株主提案を提起した瞬間から何故か東証が後押しする資本市場(主要株主)との建設的な対話がストップしてしまうという摩訶不思議な状況に陥ります。
どうしてこうなってしまうのか、私も長年悩んで参りました。そしてようやく今年、様々な本を読み沢山の方々と議論しつつたどり着いた私なりの結論(私見)がありますので本日はここで、皆さまにお伝えし、忌憚のないご意見などありましたら是非頂戴したいと思います。よろしくお願いします。それこそ「お前は間違っている、目を覚ませ!」という反論も感情的でない意見交換という範疇において、であれば勿論大歓迎です(笑)。
そもそもの株主の権利ということを2つのレンズで掘り下げてみました。一つは、欧米の歴史レンズであり、もう一つは日本の歴史レンズです。
その発想の出発点には、私の個人的な「なぜ日本人の間でこの株主提案や株主が何かを堂々と主張することがこう“雑味のある行為”として受け止められやすいのか」という疑問があります。その感覚を、様々な欧米の行動原理との対比を総称する形で「文化である」というと簡単ですが、経済行為に対する感覚に何故こういう「感覚」が生じるのか、「文化」という一言では実は全く合理的な説明がつきません。やはりそこにはそのさらに奥深くに存在する歴史的経緯、そしてその経路依存性から生じる「物事の捉え方の差」というものがあると考えました。具体的に、私が突き詰めたいのは「権利」という言葉から生じるイメージの差というところになります。話が大きくなってしまいますが、ご容赦ください。
先ず欧米歴史レンズのメガネをかけていきます。
皆さまご承知の通り、日本には「権利」という言葉がそもそもありませんでした。幕末から明治にかけて”right”のオランダ語である”Regt”という言葉を翻訳する際に蘭学者が様々な訳語を試みました。福沢諭吉が「通義」「権理」といった訳語を用いたり、哲学者の西周(にし・あまね)が「権利」という訳語を用いたりする中で、最終的に「権利」という言葉が一般的に定着していきました。これは明治時代初期のことです。このように、実は日本人にとって「権利」とは明治時代以前は極めてぼんやりした概念であり、それこそ江戸時代はそういったものについて「道理」や「筋」という言葉を使っていたようです。少々ニュアンスが違いますね。
そのrightという言葉の輸入元である西欧では、驚くことに既に古代(共和制)ローマ時代(紀元前500年頃)に十二表法というものが制定され、ローマ市民は法の下で一定の権利と義務を有することが初めて明文化されています。つまり、一種不合理な形でも行使されうる「権力」と、法の下に守られる「権利」がしっかりと区別されたのです。その頃、日本は教科書で習う弥生時代であり、明確な言葉さえ持っていなかった時代となります。
その共和制ローマはまだ国家としては若く、国家統治のリソースやインフラが脆弱であったことから、多くの機能を民間にアウトソースする形で発展していきますが、そこで活躍したのが今でいう「民間企業」なのです。具体的にはSocietas Publicanorumと言われ、和訳すると「租税・公共事業請負組合」となります。資産と人望のある騎士階級が資金を出し合い、まさに今の「株式会社」のような形で団体を作り、国家から新しい領土の徴税権や道路建設、馬の飼育などの公共事業を請け負いました。そうなると、当然そこには「契約」がありその契約に基づく「権利」と「義務」が生じ、国家権力の下でも、「法律」によってその契約の義務と権利の履行が監視された形となっています。また、現代の形とは違うようですが、一部の大規模なリスクの高い契約ではそういった組合の「有限責任制」が既に存在したことが確認されています。
このような「法意識」が紀元前から存在し、その後ローマの支配が欧州全域に広がりその法意識が広がったこと、さらに、その後爆発的に広がったキリスト教が、その通奏低音としての法意識の影響があったかどうか定かではないですが「神との契約」という概念で人々の倫理感を結び付けたこともあり、こうした を取り巻く「法意識」はまさに、欧州では数千年かけて育まれてきたもので、その文脈の中で企業や個人の活動が存在しているという、いわば、人々にとっては「生まれる前から吸っている空気」ともいえる存在なのです。推測ではありますが、欧米人にとっては「権利とは何か」を説明される必要もなく、おそらく遺伝子レベルで深層意識に組み込まれているものではないか、と思います。
実は我々が生きている世界の土台は、難しい言葉で言いますと、国家統治と法治主義です。歴史上、絶え間なく戦争と侵略、殺し合い、が繰り返されていた大変な時代に、人々に安定と秩序をもたらしてきた人間の知恵なのです。「戦争などによる略奪や侵略によらず、人と人との契約・取引によって相互的に利益を出して生きる」ため、人々がその取引に安心して参加出来るように「法律」が必要に応じて整備されてゆき、そういった経済活動を効果的に行う術として「法人や組合といったものが組成」され、その「権利・義務」が定義され、また、分業化された活動を行う集団(これが組合や株式会社!)の中での目的の遂行や意思決定の公正性を担保するために組織内の「統治(ガバナンス)という概念」がまさにそれぞれの時代の必要に迫られて進化・変化してきたのです。そこには、それこそ人類が絶え間なく歩んできた苦悩、苦労や血と汗と涙の歴史があることは想像に難くありません。
今、それこそ有識者が口々に仰々しく言う「ガバナンス」という問題も、こうした人類の歴史、そしてその中で人々がより良い世の中を目指して自然発生的に形成されてきた資本主義の発展の根幹として、ほぼ無意識的に、多くの失敗と試行錯誤(略奪や裏切り、搾取といった不正が横行した時代も多かったのです)を経て進化してきたものでして、一部の方々が場合によっては感じているような、突如無理やり押し付けられた面倒なリスク管理のルールのようなものとは全く正反対の、人類の英知が詰まった深淵なる概念なのです。
時計を数百年進め、17世紀オランダやイギリスで発展した沢山の株主が存在して株式の売買も盛んとなった「東インド会社」の発展の歴史は、このガバナンス問題の本質の宝庫ですが、まさにこのガバナンスの根幹に存在したものが、如何にリスク資金を提供した株主の権利を「法の下に」守り公平に分配しつつ事業を公正に発展させていくか、という課題なのです。
詳細は別の機会(現在新たな全投資先向け公開レターを執筆中で、そこに詳述します)に譲りますが、さわりだけこちらに記載します。先ず、想像してみてください。電話も、蒸気機関も、電気もない、400年前、ポルトガル・スペイン・そしてオランダ・英国は喜望峰を回るルートでそれぞれ戦争を繰り返しながらインドや東南アジアと香辛料、お茶、綿といった利幅の大きい貿易をしていました。ただ、一回の航海に2-3年かかり、また途中で難破、略奪、そして疫病の伝染などもあり、半分以上の船が帰還できないといった、非常にリスクが高い貿易事業でしたが、それを継続的に行うには、船の建造から船乗り集め、そして航海まで含め3-4年を覚悟する時間軸で資金の回収を待てる富裕層から多額の資金を集めねばなりません。そこで古代ローマ時代に瞬間的に存在した「有限責任」が復活し、さらに、集めた資金を元にしっかり継続的に事業を行い、数千キロ離れた先のアジアの駐屯地でも社員を駐留させ管理を行い、その商材を持ち帰って売却するまでの一連のプロトコルを監視する経営陣(取締役)と現地で事業を遂行する執行役が整備されていきました。まさにこれがガバナンス(企業統治)です。その統治の経営判断、及び株主の持ち分を公正に計算する土台となる会計(複式簿記から発展したバランスシートと損益計算)が重宝され発展していくのです。
英国の東インド会社の場合、会社の取締役を選ぶ権利は、一定金額以上の出資を行った株主に限定され、またその取締役候補となるためには候補自身がその中でもさらに一定レベル以上の主要株主である必要があったとされている点で、株主がガバナンスの主体であったことが史実から知られています。尚、こうした取締役の任期は4年と区切られており、例外なくそこで一旦退位し、再度候補となるには1年の猶予期間が必要とされた点で非常に明快なガバナンスシステムが構築されていたようです。全てはリスク資金を投下した「株主の権利」を守ることがその土台にあり、その分配や価値の計測がフェアであり正しいものであることを担保するために一部株主が取締役として経営に参画し、執行部隊の監督と指示を行いました。つまり、「監督」と「執行」の分業も、多数の遠隔地と貿易を行う、分散型の事業をいかに効率的に管理運営していくか、という視点で、自然とそうなっていったと言えます。
その英国東インド会社は、様々な問題の末に1874年に国の指示により清算されますが、なんと創立から275年続いたことになります。当初からの長年の競合であったオランダ東インド会社が1799年に放漫経営により倒産の憂き目を見たのと比較すると長命であったのですが、その多くの理由の中の一つは、間違いなく株主の権利が「株主自身の目線で守られる」ように担保され、社内でも「監督」と「執行」が緊張感をもって分離された、高度で実効性の高いガバナンスの仕組みの力にあったと言われています。
この新しい株式会社の仕組みが雨降って地固まった壮大な17世紀から19世紀までの時代のほぼすべての期間、日本は鎖国(1639年~1854年)をしており、ほとんどこの世界潮流の外に存在していたと言えます。そういう意味では、1600年頃から欧州諸国と否応なく貿易を行ってきて、くしくも植民地化も経験したインドや東南アジアの国々の方が、市場経済的な取引慣行のみならず、欧州に根付く「権利・義務・契約」「利益」「企業統治」といった「法意識」を経験則による直感として持ち合わせているかもしれません。これに関してもまた別の機会に内容を展開してみたいと思います。
さて、次は日本の歴史レンズのメガネをかけてみましょう。
先に少し触れさせていただいたように、日本人に「権利の意識」つまり「権利」として定義されたらそれは守られるべきものでありその権利を有している個人がその個人の判断で合理的に行使し得るもの、という観念が十分に腹落ちしていない状況のまま現在に至っている面を私は感じておりますが、これは私が勝手に感じているものではなく、法社会学の大家である、故川島武宣先生がその1967年刊行の名著「日本人の法意識」で既に雄弁に語っておられることです。以下はその文章を一か所だけ抜粋したものです:
日本では、1870年前後の明治維新以前は、残念ながら国家としての統一した法律の概念がなく、その直前の江戸時代においてさえ、武家諸法度を上位概念としつつ各藩がそれぞれ藩法を定めておいて、それこそ「権利・義務・契約」といった概念がそもそも明白な形で存在しない状態が長らく続いてきました。この背景には、様々なことが挙げられますが、大きく3つ挙げるとすると、先ず、①侵略の危機が歴史上ほぼ皆無(元寇の際)であったこと、さらに、②そういった言葉の通じない外国人との貿易も極めて限られた範囲でしか行われてこなかったこと、そして、③温暖で湿潤であることにより、歴史上ほぼ一貫して農業が経済の主力な構成要素(80-90%)で、それこそ村落ごとに集団で肩を寄せ合って四季折々に田植えや稲刈りなど仲良く共同作業をすることが生活の根幹にあったことから、個人の権利という概念が薄く、集団の規範や道理といった概念が中心に発展することとなったと、私は個人的に理解しております。今でも残る「村八分」という言葉はこの日本の古来から存在する村という単位における社会規範やルールの重さを物語るものでしょう。時代時代において領土をめぐる戦争や争いごとは日本においても多かったものの、社会規範そのものがひっくり返るような歴史上の事象がなかったことにより、このような基本的精神が脈々と残ってきたようです。
また、17世紀以降、世界経済を大きく変貌させた、「株式会社」というシステムも19世紀、明治維新後に渋沢栄一ら偉人が「これはいける!」と西洋から初めて導入するまで、ほぼなかったと言えます。平和な江戸時代、市場経済と共に商業が大きく発展した時代でもありますが、外洋に出て他国と貿易をするといった大きな事業は幕府が一手に独占しており、国内の商業の発展を担ったのは「家」単位での産業構造でした。そうした、家の中から今の三井グループや、住友グループも、既に多数の上場企業に分かれているとはいえ、この「家」単位の事業が起源となっており、第二次大戦後に一時財閥が解体されたにも関わらず昭和時代の高度成長を経て、いつの間にかグループが現代版として完全に再結成されていたという点で、その生存本能は強く、こうした「家」や「村」と言った意識は、それこそ西洋の「法意識」に似たような、またそれを補完するような形で日本人の中に残る強い「意識」なのかもしれません。
このように、欧米型の「権利・義務・契約」の概念も、そしてその堅固な法的骨格を土台として、多数の「赤の他人」から資金を集める株式会社システムについても、日本にとってはこの200年程度の間に突如輸入されたシステムであることは、これは好むと好まざると歴史上の事実となります。既に200年もあれば当然ながら表面上は綺麗に浸透していますが、その本質につき、欧米のように「空気のごとく自然と身体の中に存在しているか」というと、おそらくそうではないのでは、という推論を否定することは困難でしょう。
こうして、欧米の歴史レンズと日本の歴史レンズで見てみました。「権利」「そして株主の権利」というものが、欧米、特に西ヨーロッパの古代から現代にいたる企業と市場経済の発展の歴史の中で欠かせない要素であったことを理解すると同時に、日本が全く違う社会規範や歴史的経緯を歩む中で、突如明治維新で双方のこの道筋がクロスオーバーされたという歴史的経緯をなぜたどる必要があったのか、ここからが私が伝えたい大切なポイントです。
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明治維新によって突如資本主義型市場経済にいわばルーキーとして参画し、その後の世界大戦や高度成長、そしてバブルに踊った数十年とその後の低迷を経た上で、清濁を併せのんだ上でも現在の先進国の一角の地位にあることは、「歴史上の事実」として、私でも複雑な想いがあると同時に、我々の先人達に感謝すべき事象であると言えましょう。
その資本主義的な市場経済の枠組みの中で恩恵を被り、高度成長を成し遂げ、バブル期には日本企業(日本の株式会社)が欧米の資産や企業を沢山買収してきたことも事実です。その後のジャパン・バッシングやバブル崩壊と長年の低迷期を経た上でも、日本企業のグローバル化は引き続き進展しており、日本から海外に投資している資産から得られる収益である、第一次所得収支は2024年で40兆円の黒字となり、同年の貿易赤字の-5.4兆円を相殺して余りある額であることからも分かるように、日本社会と企業は、資本主義と市場経済から大きく恩恵を受けており、既に抜き差しならぬ関係にあることは間違いないと言えます。
そこで、日本、そしてその多くの企業が大きく恩恵を受けてきたこの資本主義型市場経済システムの根源が、有限責任制を前提とした「株式会社」にあることを、どこまで私たち自身が深く意識したことがあるでしょうか?そのシステムのさらなる根底をなす「法意識」につきどこまで想いを巡らせたことがあるでしょうか?その「権利・義務・契約」によって構成される秩序がいかに古代の略奪、殺戮や権力による闘争から人々を解放し、人間社会の発展に(総体的に)寄与したか、おそらく私たち日本人はあまり真剣に考えたことがないのではないでしょうか?その過程で、東インド会社といった壮大な試行錯誤による成功と失敗を経ていること、その続きが世界経済の加速度的成長であると同時に、様々なバブルであり、エンロン事件でもあり、リーマンショックであることも、あまり歴史的な視点から語られることがなく、その根底に、一筋縄ではいかない深淵なるガバナンス問題と人の倫理意識(善管注意義務等)があることも。。。それでいて、そうは言っても資本主義型市場経済が今でも人々の生活の中心にあること(ほとんどの人は生活の糧を得る上で「企業・会社・法人」に所属していること)も含め、その本当の源泉を意識したことがないのではないでしょうか。
確かに、欧米の人々の大半がこのような「権利・義務・契約」の概念を、「数千年吸ってきた空気」のように感じているとした、その歴史的価値観を、事後的に輸入した我々のような人々にその感覚を言葉で説明することは困難であり、それによって「ぼんやりとした感覚の齟齬」が明治維新から100年以上を経ても十分に埋まっていないのかもしれない、と思います。
私としては、「株主の権利」を行使する際に感じる空気は、例えば日本では欧米に比べて訴訟が少ない、ということと同じく、この大きな「感覚の齟齬」の問題の、ごく一部を構成するものなのかもしれない、と長年悩んだ末に今では考えています。これは、先述の通り、17世紀頃から、遠方から突如現れた言葉も分からない欧州諸国と否応なく長年取引を行ってきたインドや東南アジア、中国の人々の方が、「感覚面」ではその距離が欧米に圧倒的に近いのかもしれない、と感じています。
この「権利・義務・契約」の法意識は、古代から現代に至るまで、同質的でない背景や文化、思想を持つ人々や言葉が通じない人々、そして成立までに数年かかるような遠方との貿易などにおいて、何とか喧嘩をせずにフェアに取引し、生活を安定させ、人間を豊かにする知恵として存在してきました。法治国家にとって、この取引の安定と経済の発展こそが大事な統治手法となったのです。この脈々と受け継がれてきたものが、日本の長い歴史で育まれてきた基本的考え方の中に確固たる概念として存在していなかったということ、そう、その「違いの正体」を明確に意識することで、「ぼんやりした雑味」の本当の形が見えるのではないか、と思います。そして、その違いを消化し、理解した上で、やはり、私としては、殻に閉じこもることなく、壮大な人類の歴史に対するシンパシーを持つべきだと思います。
そしてその「権利・義務・契約」の世界を構成する膨大な構成要素の一つのミクロ的な事象として「株主の権利」も存在し、その株主の権利が厳然として存在することによって、企業統治(ガバナンス)が様々な失敗を経つつも世界で進化してきたことで資本主義経済が発展したことは事実です。そのことを受け入れられれば、感覚的な問題としてではなく、やはり人類の試行錯誤が作り上げた一つの「型(かた)」として株主と株式会社の関係性を冷静に淡々と受け入れられるのではないでしょうか?
今後、急激な人口減少社会に入っていく中、日本企業は、否応なく生き残るためにさらに国際化を進めることになります(トランプ税制はさておき、、)。また、持合いが解消していく中、海外の投資家資金を新しい株主として受け入れない限り、上場企業としは中長期的に存続していくことは困難です。そして、その海外投資家の中心に存在するのは、欧米の資金であり、「権利・義務・契約」の空気を自然と数十世代にもわたり吸ってきた人たちです。そう、「株主の権利」も空気のごとく吸ってきていることと思います。この「感覚の違い」を受入れ、認め合い、「株主」のこうした規律が、企業統治と成長のために必要だ、と理解し未来志向で株主と向き合っていけるか、が上場企業の今後の成長の雌雄を決すると私は感じています。
上場企業として企業価値向上を図る、という、最近、プロパガンダのように叫ばれるこの本当の意味は、日々の事業成長戦略を考え、株価を意識するという表面的なことで終わることではなく、このように壮大な資本主義と株式会社の歴史絵図の中での、過去・現在・そして未来の自社の株主との「法的に定められた厳格な関係性」を理解し、意識し続けることと同義なのだと私は個人的に考えております。「日本人の法意識」はそういったことに改めて気付かされる大変良い本ですのでよろしかったら皆様も是非改めてお読みください。
清水雄也
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