- 2021-4-10
- 投資先への手紙
拝啓 投資先の皆様
ひびきの清水でございます。既に年始のお手紙と言うことがはばかられる新緑の季節に突入しておりますが、2021年年始レターの最終第三弾をこちらに送らせていただきます。第一弾は、市場の「期待の問題」、そのネットワーク効果のパワーを指摘させていただき、前例主義であるAIの習性を打破出来るのは、私たちの知恵と前例を踏破するエネルギーであると書かせていただきました。第二弾では、昨年来話題のアント・フィナンシャルの成長の軌跡から得られた、ITとAIを駆使したビジネスモデルの背後に存在した経営者(=人間)の知恵と情熱と戦略について触れさせていただきました。
前作までは、少しでも投資先の皆様の思考に役立っていただければという視点で執筆しましたが、当第三弾では、私の考える世界の今後について、ある意味「勝手気まま」に書かせていただきます。そこには恣意性や主観が挟み込まれてしまっている可能性が濃厚ではありますが、一つのオピニオンとしてご笑覧いただければ幸いです。
さて、今の時代、ITやDX、5G、ネットワーク、クラウド、といった横文字が横行し、私たちの生活を支配しております。私の80歳代半ばの父もインターネット証券で株式投資をし、LINEやWhatsAppで遠隔地に住む家族と会話し、ネットフリックスでドラマを視て、アマゾンで雑貨を頼んでいます。20年前の80歳代の生活からは想像すらできないことです。iPhoneが世界で初めて発表されたのが2007年1月、日本に上陸したのが2008年7月、それから10数年で世の中は当時誰もが考えもしなかったペースで変貌しています。
ITの元祖となるコンピュータは第二次大戦前、砲弾の弾道計算を正確に行うというニーズから1930年代頃に様々な科学者によって開発がすすめられ、その後、様々な学術機関やIBMといった巨人が参戦し市場が拡大し、その技術要素も進化していきました。1968年に半導体(トランジスタ)を開発製造するインテル社が創設、1971年に最初のMPU「4004」が出荷され、その後継モデル「8008」を搭載したマイコン「アルテア8800」がMITS社によって世に出されたのが1974年です。その発表に狂喜した血気盛んな若者たちが作った会社のうちの2社が、今でも世界を席巻しているマイクロソフト社(1975年創設、ゲイツ氏とアレン氏)、そしてアップルコンピュータ社(1976年、ジョブス氏とウォズニアック氏)でした。
他方、コンピューティングパワーの著しい進展と共に、冷戦状態が深刻な1960年代には、防衛のニーズからフェイルセイフな分散型の通信技術の開発が米国の政府主導で進められて、やがて民間の機関との協調の上1969年にUCLAとStanford大学を結ぶ世界最初の電信通信網が構築されました。1990年代にはネットスケープ・ナビゲータというソフトウェアによってインターネットがいよいよ大衆化し、現在の大量情報社会の幕開けに繋がっています。その後のソフトウェア、ハードウェア、インフラの著しい改善により、現在はSNSそしてリッチコンテンツ(音楽、動画など)が無料(≒定額無制限?)で「共有」される時代になっています。その現象面(株式市場など)における功罪や人間の意識をも支配する効果は第一弾で述べさせていただいた次第です。
このような素晴らしい(?)技術の進歩によって、私たちは「どうなったのか」、そしてこれから「どうなる」のでしょうか。私は思想家でも哲学家でもないですが、資本主義的イデアが最も具現化されている「株式市場」と「企業(株式会社)」に長年揉まれ、酸いも甘いも数十年体感してきた人間として、少し見えてきたことをお伝えできればと思います。
前述のアップル・コンピュータ社は人類社会に計り知れないインパクトを残した企業ですが、その原点である「マッキントッシュ」が発売されたのは1984年です。ディストピア近未来小説の金字塔であるジョージ・オーウェル作「1984年」と同じ年でした。この著作をお読みになった方も多いと思いますが、内容としては、ビッグ・ブラザーという支配者が社会の隅々まで監視しており、その支配者に管理され、違反した者には粛正が待っている、という恐怖に満ちた小説です。そして、くしくもアップル社はそのマッキントッシュ発売に関わるTVコマーシャルで、タンクトップの女性がそのビッグ・ブラザーの映し出された画面にハンマーを投げつけ、破壊する、という強烈なシーンを映し出しました。「マッキントッシュは一人ひとりの人間に情報の自由を与える」という強い意欲とメッセージであったと思います。その理念が多くの面で実現されたことは間違いありません。しかし、果たして私たちは本当に自由になったのでしょうか?
ちなみに、大ベストセラーで、多くの方がお読みになったであろうハラリ著「ホモ・デウス」の第6章に次のような一節があります。
現代というのは取り決めだ。私たちはみな、生まれた日にこの取り決めを結び、死を迎える日までそれに人生を統制される。…(中略)…一見すると現代は極端なまでに複雑な取り決めのように見える。だから、自分がどんな取り決めに同意したのかを理解しようとする人は、まずいない。ソフトウェアをダウンロードし、添えられている、難解な法律用語が何十ページも並ぶ契約書に同意するように求められたときに、一目見て、最後のページまでスクロールして、「同意する」という欄に印をつけ、後は気にしないのと同じだ。ところが実際には現代とは驚く程単純な取り決めなのだ。契約全体を一文にまとめることが出来る。人間は力との引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。 |
ホモ・デウスはこの引用の通り壮大な語り口で読み手に迫ってくるわけですが、日々の生活の中にもその悲しき真実が存在しています。私たちをドライブしてきた資本主義の原点は「豊かさ」、つまり「力」への渇望で、そのドライブによって科学技術が進歩し、とてつもない利便性と人間社会の発展、環境からの自由を手に入れました。そして日々の生活は、特に先進国において圧倒的な利便性と情報のフラット化、コミュニケーションの質と密度が革新的に向上し、つながる社会となりました。今後は自動運転やバイオメトリックなどの新しい技術で、さらに想像もつかないような便利な世の中になっていくでしょう。
しかし、利便性が同時に人間の潜在力を進化させる方向に働くかは別問題で、特に、第一弾で述べさせていただいたような情報拡散のスピードとパワーが強大になりすぎることで、印象(インプレッション)の慣性の法則が強くなり、人々の軽い「思い込み」が過度に増強される事象が、ネットの世界だけでなく政治やビジネス、株式市場といった生活の全シーンで頻発していることは先述の通りです。人々が、あまり「考える時間」を与えられずに常に情報を浴びせられている状態であることの弊害でありましょう。
さらに、インターネット広告、SNS広告の世界で顕著であり、同時にアマゾンなどの購買サイトでも常時起こっていることが、私たちのIPアドレスの履歴に合う何らかの広告、イメージまたは推奨をAIが瞬時に見つけてきて、閲覧中の画面に表示し興味を惹いているという状況です。この意味するところは、世の中の選択肢が極端に増えたことと、その選択の結果を事後的に把握することも容易になり、人々はより不安を感じ、選択をすることを恐れ、その選択を放棄し始め、AIやネットの推奨に知らずのうちに依存するようになってきているということです。
この「選択の放棄」は、第二次大戦前に意図せずに「自由を放棄」しナチスに傾倒していったドイツ国民の姿、また昨今の独善的な権力を誇示する国家リーダー像に傾倒する人々の姿にも似通います。自分は何故この選択をするのか、この信条を貫くのか、という「意味」への考察が軽薄短小化している、まさにホモ・デウスの引用部分に繋がります。
これは、便利になる世の中で人々がうすうす感づいていながら声を挙げにくい部分かと存じます。そしてその依存の先にプラットフォームと言われるGAFAが存在することで猶更その困難さが助長されます(GAFAにより便利になったことも同時に沢山あるからです)。ある意味、人は、自身の情報を共通知に差し出すことによって一定の力を得る代償として、一定の自由と意味を(知らぬ間に)放棄しているのです。その情報を支配するのが、長期的利益を最大化することを目的としている株式会社組織であり、一部の経営陣がその判断を握ることに対する危機感を国家が抱き、GAFAへのEUや米国司法省による訴訟や、アリババに対する中国政府の介入に繋がっていることは、想像に難くありません。
ここまでは、お手紙の第一弾、第二弾の流れを汲んできましたが、ここから本題に入っていきたいと思います。情報技術革新によるパワーで、所謂ネット系の大手企業が潤沢なキャッシュフローを再投資する過程で顧客を囲い込み、遂に国家権力に匹敵する影響力を持つようになったことで、米中対立に象徴される「国家対国家」の闘争に加え、「国家対企業」が絡みあう複雑な権力闘争の様相を呈しているのが現状です。そして、そこに急激に割って入ってきたのが、国境を跨ぐ理念共有グループ、NPOなどの台頭です。端的に申し上げると「国家」対「資本」対「理念」の多軸対立構造になったのです。昨今のESGの流れを見ていると、ある種この理想追求型のアクティビズムはバブルのようにも見えますが、これも歴史経路依存性からくる構造的、必然的なものであることが分かります。
その昔、人々の死生観は宗教によって構築され、その中に倫理観や共感、慈悲の精神などが植え込まれ、その倫理観の一部から資本主義が生まれたことは偶然ではありません。そしてその発展の過程で、経済単位では最大の範疇である国家が栄えるようになり、人々は君主でなく国家に税金を納めていることを意識し、国家を守る数々の悲惨な戦争も経験し、国家の発展に資することが大切だと、人々の倫理観に強く刻み込まれるようになり、今では一部の悲しい民族紛争地域を別として「自分は○△国人である」という分類は人々のアイデンティティーを決定づける大切なものです。つまり、「○△国人である」ことに既に人々は「意味」を見出すのです。「アメリカ・ファースト」はその一つの極みです。
そこに、科学技術の発展は人類の「善」であるということに意味を見出した技術嗜好の企業群が1970年代から台頭し、わき目も振らずに経済発展に資する貢献を人類にしてきた結果、地球規模で様々な情報を「見える化」し、「つながり」を提供、その根幹を彼等が自然と握ることにより、皮肉なことに人々の帰属意識や生き方に多大な影響を与え、気付かぬうちにその意味を希薄化しつつあります。この合成の誤謬ともいえることはそういった企業の経営陣さえ意識、意図はしていなかったと思います(と信じたいです)。そして大勢はその流れに乗りつつも、一部の強い反作用として、グレタ・トゥーンベリさんのような「社会意識、人類意識」に基づく強い意志を持つ人々の意見が極めて先鋭化し、ネット拡散し、グローバルでムーブメントとなったのが現在ではないでしょうか。これは、(全ての事象に二面性があることと同様)少々危険であると同時に希望を抱かせる動きでもあります。以下にここを掘り下げていきたいと思います。
まず、こういった社会意識の台頭が必然であるという論考は演繹法的に証明することは困難ですが、現象面から考察すると、おおよそ以下の3点によって支えられていると考えます。
① 情報化により、世界中で起こっている環境や人権に関わる諸問題で今まで黙殺されていた多くのことが「見える化」され、共有化され、Facebookなどで「つながる」ことでそれが拡散することが容易になり、元々かき消されていた声が世界中に聴こえるようになった。
② 元々、環境などに対する倫理観は良識ある人々が持っている根源的なのものであり、国家や企業に対する帰属意識が希薄化し、便利な世の中で目的が見出しにくくなり、意味を見出す心の旅に出ている一般の人々に刺さりやすくなっている。
③ デジタルネイティブのミレニアル世代、ジェネレーションZ(“GenZ” ジェンズィー)世代が情報化のツールを駆使し、気軽に世界規模で社会参加出来るようになった。
ここで、③の新世代の社会参加の意味は非常に重要な点です。この手紙を読まれている多くの方々は、このミレニアル世代及びGenZに関して多少耳にとめられている程度であられると思いますし、ある意味考え方の違いに少し恐怖さえ抱かれている可能性があると推察され、詳細に分析し、本手紙の締めくくりとして今後彼等、特にGenZ世代、が社会経済の根幹を担っていくことによって起こる(既に起こっている)社会と資本主義の大きな変化の可能性につき提示してみたいと思います。
GenZ世代は、下図に在ります通り、1995年~2010年の間に生まれた世代で、現在11歳~26歳、最も特徴的なことは、幼少の頃からインターネットが存在していることが当然の環境で育った「デジタルネイティブ」世代であるということです。
(出所:Mckinsey Survey – 4 core Gen Z behaviours (2017) よりHibiki加工)
彼等世代の特徴として上記に別世代との比較としていくつか挙げられていますが、特に重要なのは、①メールやSNSが物心ついた瞬間から存在し、友人と常時コミュニケーションを取れる(つながっている)、②リアルの身の回りの世界を超えた(ネット)媒体や人間関係から情報を気軽に取得することに抵抗がない、③(現在のコロナまで)原則として生活に困るような経験をすることなく育ってきており、博愛的、という点です。
このような状況から、GenZ世代は過去世代よりは相対的に自身の心配をすることが比較的少なく育ち、よって自己肯定感が強く、自身より世界の未来の動向に関心が高い、という世代となります。以下に、2017年に調査を行ったマッキンゼーのGenZ世代の特徴を和訳し掲げさせていただきます。※ちなみにデロイト・トゥーシュ・トーマツグループの行っているミレニアルとGenZ世代の「ムード(気分)」の2019年サーベイで、日本の若者たちは、中国やインドを含む先進国13国の調査で残念なことに最も総合的に悲観的(最高は中国71点、平均は39点、日本は24点)となっており、日本の若者の動向だけ見ていても、世界の動向を見誤ってしまう可能性があります。
(出所:Mckinsey Survey – 4 core Gen Z behaviours (2017) よりHibiki加工)
さらに下図を見ていただきたく存じます。先出のデロイトが2019年11月~2020年1月に43カ国で行ったミレニアルとGen Zに対する別のサーベイです。今最も気にしていることを3つ挙げよ、という題で膨大な選択肢の中から挙げてもらったものです。
(出所:Deloitte Global Millenial Survey 2020)
これによりますと、GenZ世代の頭を最も悩ます問題は、順に①環境問題、②失業の心配、③セクシャルハラスメント、となります。尚、コロナが世界に拡散した2020年4月にも対象を少し絞った上で同様の内容での緊急サーベイが行われましたが、その際はセクシャルハラスメントよりも健康問題が上位に来ましたが、環境問題は若干数値が下がったものの28%と引き続きトップでした。GenZにとって環境問題は、自身や家族の失職問題もしくは健康の問題より「重要」でその割合は世代の1/3に近いという、驚くべき(いや、驚いてはいけないのでしょうか)結果です。
このような世代の台頭を目の当たりにすると、昨今の環境問題や人権問題への世界的な関心の高まりは単なる一過性ブームに終わるとは考えられません。むしろ、既に構造的なシフトの真っただ中といっても過言ではありません。インターネットと通信技術の進化で、世界中の情報を共有し、共感し、今までまとまった力になりにくかった声が国境を越えてまとまり、意味を求めて理想を掲げる若者の心を捉え、その声はさらに増幅していきます。
資本主義が発明されて発展してきた中で、環境問題などはその副産物としての外部不経済として意識されてきたものの、実際に超国家的に世界規模で一同に向きあうようになったのは、1995年のベルリンでのCOP1が最初であり、その後の1997年の京都議定書、さらに規模が拡大されて全世界の国々による合意事項として確認されたのが2015年のパリ協定です。このような国際的な枠組みには、実は明白な罰則規定がないにも関わらず、世界規模で一般市民からの熱烈な支持を受け、投資や企業経営の世界をも大きく突き動かす事態になっています。そしてその背景にGenZ世代の台頭があるのです。
皆様のような企業自身も、この環境問題やESGの意識の急速な高まり以前から、二酸化炭素排出に関わるデータを管理開示し、その削減を図るなど、実直に長年取り組んでいただいている先もございますし、企業に関わる財団で森林再生をされたりと、日本人らしい地道な努力を長年されている先などもいらっしゃり、大変心強いのですが、喫緊の課題はそのような活動の株主やステークホルダーへの開示、顧客でもある市民への提示(=従業員への提示)に関してまだ包括的でなく、発展途上の先が多いと感じられることです。このままでは世界のSDGs、ESGのペースに完全に乗り遅れる懸念があります。実はここに、今の資本主義が向き合い、今後どうさらに発展していくのか、それか何か他のものに置き換わるかの分水嶺のようなものが存在していると考えます。
1494年にヴェネチアのパチョーリ氏により複式簿記が体系的に書物で紹介されて以来、会計と財務データこそが資本主義の発展を計測する最も信頼される「言語」でした。その捕捉力と計測力があってこそ、事業や企業、そして国家は、多くの場合、より良い投資先を見つけ、成長の正しい道筋を歩むことが出来たと言えるでしょう。しかし先述したように、そこには明白な「外部不経済」が存在し、それをいよいよ内包化することが求められ、それに対する「言語化」「データ化」がこの昨今のSDGs, ESGの動きに他なりません。
つまり、今まで事業体や国家のデータで充分に捕捉されず、その因果関係が説明しにくい問題は、外部不経済問題として国際連合のような場で協議され、充分に法的拘束力がなく、守られることのない目標として提示されてきましたが、その流れが、科学技術の発展と、意味を求める人々の力によって、大きな反動となって私たちに「問うている」状態です。つまり、結論から申し上げると、このような環境や人権に関わる地球の未来に関わる外部不経済の未来への責任を資本主義に内包していかない限りは、資本主義自体が衰退してしまう可能性が高いということです。そしてそれを内包する鍵を握るのは、国としてのリーダーシップはもとより、企業の経営者の力、つまりG(Governance)となります。
利益と価値を最大化するという資本主義のマントラを放棄し、国家や企業が人類の「最高の善(Ultimate Good)」に集中する世界は、理想主義的ではありますが、資本主義に先んじて崩壊した社会主義的な偽善の構造を彷彿とさせます。最近議論が活性化しているベーシックインカムの発想も然りです。当然そのような全ての人が生産消費者(プロシューマー)となる理想的な未来が実現する可能性はあり、それによって地球は救われるのかもしれませんが、今までのような「富」や「進歩」をドライバとしてきた科学技術の発展が損なわれる可能性も十分にあります。そして、それでも良い、という考えを持たれている人も急激に増加していることも事実でしょう。
しかし、この人間社会の発展と科学技術の進歩の現状を見て、人類と資本主義の相性は悪くないと信じることが出来る人の方が依然、私含め、大勢であろうと存じます(少なくとも資本主義自体成長進化する、と信じたい人が大勢です)。よって、現在の状況は、少なくとも資本主義との共存を目指して、地球との共生を図るための変数及びデータを各レイヤー(社会、国家、企業、個人)で「見える化」し、「内包」し、そこにも財務会計的な基準に匹敵する「価値基準」が置かれる、新しい資本主義の形が今後10年~20年かけて出現していく、夜明けのようなものではないでしょうか。
既に、第一弾で述べさせていただいたように、ブランド力のある企業とそうでない企業の価値評価の差は、会計数値上では説明出来ない程に大きく開く状況にあります。そこには当然、財務会計に捕捉されない「大いなる価値」を私たち投資家、つまり人間そのもの、が見出している現象がそこかしこで起こっているのです。その現象はコロナ禍で過度に増幅しているように感じます。その根幹を担うGAFAがプラットフォーマーとしての強大な力を誇示して、人々の「意味」を希薄化させながらさらに拡大再生産を図っていくことに国家も危機感を募らせる中、臨界点に達しつつある資本主義に別の視点から光明が発せられている、つまり一つの新しい方向性にシフトするチャンスを与えてくれているのがESGの流れなのかもしれません。これは、神様の偶然であるかのように見せかけた、経路依存性に基づく必然ではないでしょうか。
何も私ども(Hibiki)が、突然環境アクティビストになり、皆さまに環境や人権に関わるデータをしっかりまとめ、それを開示することを強く求めている訳ではありません。ただ、道筋をはっきりさせて取り組まない場合は、深化した資本主義の新しい価値基準から皆さまの会社が投資対象として認定されないような状況が10年単位の時間軸で出現していく可能性が濃厚であると存じます。しかも、これは実は、投資価値基準というよりは、社会価値基準ともいえるものです。そして、皆さまが、まさに強い関心を持つべき新しい価値基準に共鳴することができる経営のヒントが、GenZ世代の頭の中にあるのです。
上記の通り、次世代が環境や社会の問題に強い参加意識を持っている事実自体、資本主義はその問題を内包せざるを得ないという一つの強い裏付けになっていますが、より現実的で切実な問題として、このような若者達が、社会人として「意味」を求めて働きに出る場合、その働く場所の「意味」を求めるということです。例えば、デルテクノロジーによるグローバルサーベイでは、「働く理由に、金銭以外に“意味”と“パーパス”を求める」と答えたGenZが全体の45%もいたということです。
先ほどから何度も申し上げている通り、彼等が育ってきた時代背景や生活環境から類推するに、この理想主義的な考え方は「単なる若気の至り」ではないことを示唆します。つまり、皆さんの会社も「SGDsのミッション、ESGの着眼点を内包して仕事にパーパスがある」ことを明白に提示することが出来ない限り、より未来志向で、企業価値に資する熱意のある人材を惹きつけることが出来ない、という仮説に結び付きます(今の日本の若者は言語の問題もあり少し全体のGenZの思考より遅れているかもしれませんがすぐに追いつくでしょう)。また、マッキンゼーの調査(先述)の通り、彼等(GenZ)は同時に非常に現実的(Pragmatic)でもあるので、データや数値に裏付けのない理想論には共感しない可能性が濃厚です。
経営は、数々の修羅場と経験を積んだ方々が担うことから、そのような同世代での意見交換が中心となり、GenZとひざを突き合わせて一晩中本音を議論するような機会もそうそうなく、喫緊の収益責任のプレッシャーもあり、社会構造転換のウェイトを意図せずとも軽んじてしまう傾向があります(私にも正直ございます)。しかし、今後の社会を担っていく世代がこのような考え方で、さらにその考え方は過去数十年の資本主義と科学技術の進化の産物であることから、既にその根本を変えることは不可能です。このため、社会として、企業として積極的にこの動きを内包していくことが、合理的で進歩的な結論となります。様々なESGレーティングや、SDGsのムーブメントの洪水で若干戸惑いを感じておられる経営者の皆さまも多いと思いますが、そのうち時間を経て、ROEやROICといった財務指標に加えて、環境や社会の問題に関する評価点が企業評価の大切な軸になっていくことは間違いないと考えた方が良いでしょう。そしてむしろ積極的に先行して内包していくことで、企業の価値やブランド、そして従業員ロイヤリティなど様々なプラス効果に波及する未来が、おそらくもうすぐそこにあります。
ここで、是非間違っていただきたくないことは、この財務的な価値とESG的な価値が二律背反ではないということです。当然、今まで「黙殺されてきていた」評価軸が加わることで適切な費用対効果や時間軸のバランスを取ることが求められます。そしてそのバランスを担う最も大切な要素がG、ガバナンスとなります。企業に求められるものは時代によって大きく変化してきました、しかしその中で上場企業はやはり資本主義の中心であり、その変化を担っていく責務を負っているとも言えます。
数十年前の過去は財務情報でさえ少なく、デジタル化もされておらず、比較することも困難であり、よって経営判断としては社内適合性に集中することが、最適な経営でした。それ以外の手段すらなかったといっても過言ではないでしょう。しかし、情報化され、グローバル化され、資本の移動も自由に、早くなり、GAFAの出現により業種の垣根さえも曖昧になりつつあります(トヨタが企業城下町でなく、本当の街を創る時代です)。そのような複雑な時代に求められる経営のクオリティを担保するのがガバナンスなのです。短期的もしくは超長期的な視座に偏ることなく、「企業価値を最大化」するというミッションの変数の一つにESGの軸が加えられるだけであり、そのミッション自体は変化していないのです。
最後に一つまたグラフを添付させていただきます。
(出所:Our World in Data)
手紙の第一弾に掲げさせて戴いた、人口増加率の今後の推移のグラフです。国の先進度合いの違いに分けて(そして日本も→マイナスが続きます)提示させていただきました。
以前お伝えした通り、2100年までには人口増加率はほぼゼロに近傍し、その後さらに低下していく可能性が高いことが示されています。考えたくはないことですが、穏やかに人類の衰退が始まるのかもしれません。しかし、科学技術の発展はおそらくさらなる長寿命化に資すると考えられ、このシナリオの通りに展開するかはまさに神のみぞ知るということでしょう。
ただ、一つ言えることは、今のままではそれまで地球自体の環境が持たない可能性、様々な気候変動や天災が常態化する状態になってしまう可能性は、より現実的であるという点です。私自身がこのような危機意識を共有する考え方に落ち着くのにも時間が必要でしたが、やはり本当に必要なのは、世の中にインパクトを与えることが可能な一人ひとりによる意識改革なのだと感じます。
そこで、今すぐ比較的簡単に出来る新しい資本主義への架け橋として、例えば、以下のような案はいかがでしょうか。新入社員を含む20代の社員を含めて全社的に5年~20年までの段階的に行使可能な超長期の自社の株式オプションを発行し、環境や社会問題に対して、社内外でも積極的に関わり、そのモデルを具現化していくことも人事考課に加える。そしてその活動により、財務及びブランドの両面から企業価値が増大することのメリットを株価上昇により全社員に(リタイア後も含め)享受していただくという、非常に単純なプランです。オプションなどは金融業界でない限りは馴染みもなく、意識改革を生まず、広く付与する意味もないと思われるかもしれませんが、企業価値が増大したときの「ポジティブサプライズ」効果は絶大であると信じます。SDGs、ESGの流れだけでなく、中長期的に利益や純資産も増やすベクトルがこれで一つにまとめられます。従業員に「パーパス」をしっかりと意識し、行動してもらいつつ、そこには「資本」の規律がしっかりと通奏低音のように流れている、まさに「神の見えざる手」ではないでしょうか。そこは資本主義のモチベーションツールとしての素晴らしいところだと感じます。
投資先の皆様の企業価値が、市場できちんと評価され、さらにそれが増大していくことを日々夢に見ております(うなされたりもします 笑)。それには、皆さまの、価値を守り増やす、経営「人」としての強い意志だけでなくその発信力が必要だと感じます。大変な時代だな、と実感することもありますが、刺激を受けて私自身も若返りながら、新しい資本主義の波にもまれつつ人生100年時代を過ごすことも実は悪いことではないと感じます。「新しい資本主義の中で生きる法人そして人のあるべき姿」という大きなテーマを考えることで、逆に現実的な打ち手が皆さまに腹落ちする形で見えてくるのでは、と考えております。時代の流れに翻弄されるのではなく、内包する方が、いいのではないでしょうか。そのような姿勢が浸透することによって資本主義の未来がより興味深いものになりそうです。
三度の長いお手紙で皆さまのお邪魔をしてしまいました。何卒ご容赦いただければ幸いです。皆さまの日々の悩みに対し、何らかの気付きにつながることがあればと祈念します。引き続きよろしくお願い致します。
敬具
令和3年4月吉日
ひびき・パース・アドバイザーズ
代表取締役・運用責任者
清水雄也