- 2021-4-1
- シンガポール通信
こんにちは皆さん。私はひびき・パース・アドバイザーズでCOOを務めるビクター・フー(Victor Foo)です。今日もチャイナタウンのひびき本社で、ひびきの運営にあれこれ頭を巡らせながらパソコンのキーボードを叩いています。さて今回は、シンガポール生まれシンガポール育ち、生粋のシンガポリアンの私から、皆さんにシンガポールの歴史について少しお話ししましょう。
シンガポールは別名、メディアやカジュアルな会話では「小さな赤い点」と呼ばれ、東南アジア最大かつ、世界で最も交通量の多い港を有する都市国家の島国です。シンガポール港がここまで成長と繁栄をしてきた背景には、マレー半島の南端、交易の要となるインド洋と南シナ海を結ぶマラッカ海峡に位置するというその地理的優位性があります。シンガポールはかつてはイギリスの植民地であり、現在はイギリス連邦の加盟国のひとつとなっていますが、この国は当初、1963年にマレーシア連邦に加盟していました。しかしそのわずか2年後の1965年8月9日、リー・クアンユー首相の指導の下、マレーシア連邦から追放される形でシンガポールという一つの国として分離独立することになります。
この突然の独立の後、「小さな赤い点」は不確実性に満ちた未来に直面しました。保守派の統一マレー国民組織(UMNO)は分離独立に強く反対し、さらにはインドネシア軍の攻撃を受け、不利な条件で強制的にマレーシア連邦に再統合される危険に晒されるなど、当時はの政情は大変不安定な状況で、国際メディアの多くは、「小さな赤い点」の維持存続に懐疑的でした。国家主権問題のほかにも、失業、住宅不足、不十分な教育制度、わずかしかない天然資源と極小な国土面積と、差し迫った問題が山積みで、とりわけ失業率は10~12%と高く、国民の不安は募るばかりでした。
このような深刻な失業率と住宅不足に直面していた「小さな赤い点」は、数々の問題を打破すべく、1960年代後半から1970年代にかけて、近代化プログラムに着手しました。製造業の確立、大規模な公営住宅の開発、公共教育やインフラへ多額の投資を行い、「小さな赤い点」を「ガーデンシティ」にするというビジョンのもと、急激な都市化を推し進める中にも豊かな緑を街中に植えこむ努力を続けました。
1990年代には、この「小さな赤い点」は、高度に発達した自由市場経済と強力な国際貿易へのアクセスを持つ、世界で最も繁栄した国の一つとなりました。さらに2010年には、リゾート・ワールド・セントーサにユニバーサル・スタジオ・シンガポール、続いてマリーナ・ベイ・サンズが統合型リゾートとしてオープンするなど、観光地としての魅力を高め、世界中から旅行者を呼び寄せました。マリーナ・ベイ・サンズは、総工費80億シンガポールドル(約6600億円)という世界で最も高価な単独のカジノ施設として注目を集めました。2010年12月31日には、シンガポールの年間経済成長率が14.7%となり、過去最高の成長率を記録したことが発表されました。
ナイト・フランク社が発表した「The Wealth Report 2021」によると、パンデミックの時期を経ても、2020年に「小さな赤い点」に住む超富裕層(UHNWI:Ultra-high net worth individuals)の数は10.2%(345人)増加し、3,732人となったそうです。このレポートでは超富裕層のことを、「主たる住居を含めた純資産が3,000万USドル(約33億円)以上の人」と定義しています。シンガポールが世界中の富裕層を魅了する理由としては、シンガポールの治安の良さ、所得税や相続税、キャピタルゲイン課税の低さ、高度な医療制度などが挙げられています。シンガポールは世界で最もビジネスがしやすい国として、世界銀行が発表した2020年のビジネス環境ランキングにおいて、1位のニュージーランドに続き、堂々の2位を獲得しています。
いかがでしたでしょうか。このシンガポールの発展の歴史の先に、ひびきがシンガポールで設立された理由があります。私たちひびきは、自由で、未来志向、挑戦を推奨する風土を持つこのシンガポールでビジネスができることを、大変嬉しく思っています。
ビクター・フー(Victor Foo)